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井波の紹介

野原博史さんの井波物語

井波物語井波でお寿司屋さんを営まれる野原博史さんが、
井波の歴史を紹介する「井波物語」です。

文:野原博史さん(美好寿司
挿絵・イラスト:藤井治紀さん(砺波市)
デザイン・編集:薮道子さん(砺波市)

【その五】オールド・メモリー 夕日の本町二丁目十四・聖徳太子と松

オールド・メモリー 夕日の本町二丁目十四聖徳太子と松
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オールド・メモリー 夕日の本町二丁目十四

昭和34年、私が中学3年生の頃、14インチの白黒テレビが売り出されました。

近所の屋根にアンテナが立つ順番は、ほぼお金持ちのそれに等しかったものです。

向かいも隣も、次から次へとテレビが普及し始めました。しかし我が家には一向に入りません。それもそのはず、当時サラリーマンの初任給は2,000〜3,000円くらいで、テレビの価格は5〜6万円。小さな八百屋を営んでいた我が家では、到底購入できる代物ではありませんでした。その頃の私といえば、『少年』『冒険王』『少年クラブ』などの月間漫画を読んだり、ラジオでは「笛吹き童子」や、ともすれば浪曲まで聞いていたことを覚えています。今と比べれば社会の情報がはるかに少ない時代でした。

その一つ、ある漫画雑誌に一休さんの面白い話がありました。殿様のとんちに見事に答えた一休さんに殿様は「褒美をとらわす。何なりと申してみよ」と言いました。そこで一休さんは浪費癖のある殿様をいさめたいと思い、「一日に米を1粒、二日目に2粒、三日目に4粒、四日目に8粒、五日目に16粒という具合にして、一ヶ月だけ下さい」と答えました。殿様はすぐに「そのくらい容易いものじゃ」とおっしゃいましたが、この計算でいくと最終日には米粒は2の30乗、つまり10億7374万1824粒となります。重さにして21トン、米俵にして350俵にもなり、殿様にもよい薬となったという話でした。

このことにヒントを得て、私と兄はテレビ欲しさに頭をひねって一休さんとは少し違った方法を思いつきました。初日に1円、二日目に2円、三日目に3円、四日目に4円、五日目に5円と少しずつ小遣いをもちより、10ヶ月近くに渡って毎日貯金していきました。貯まったお金は4万円程度。それを父に渡してとうとう念願のテレビを買ってもらいました。

場所は井波町本町二丁目。未来は明るいと誰もが信じていたころの話です。

聖徳太子と松

「聖徳太子絵伝」には聖徳太子が三歳のときのエピソードがある。

のどかな春の日に、お庭で太子が父の橘豊日皇子(たちばなのとよひのすめらみこと=のちの用明天皇)に抱かれて桃の花を眺め、次に青々と繁る松をご覧になられた。父君が太子に「桃の花と松とどちらが好きか」と尋ねられた。

父君は当然桃の花と返事があるものと思っておられたが、予想に反し、松の方が好きだと答えられた。理由を聞くと「桃の花は美しいけれども、すぐに散ってしまう。松の葉は年中緑で百年たってもその色を失わない」と答えられたということだ。

桃花一且栄物
松葉高年貞本

太子は亡くなられる時、田村皇子(後の舒明天皇)に「財物は亡び易くして永く保つべからず。ただ三宝の法のみ絶えずして、以て云うべし」と言い遣された。これは桃の花を財物に、松の葉を三宝の法(仏・法・僧)に置き換えられたものである。

太子が建立したとされる法隆寺の参道は、なるほど見事な松並木である。ここを歩くと私はいつもこの謂れを思い浮かべる。太子とゆかりのある善光寺の賓頭盧尊者(びんずるあそんじゃ)像の脇や、東大寺大仏殿の大仏の両脇にも松が供えられている。松は常緑樹なので、ご本尊を一年中お祀りしたいとの思いが込められているのだろう。


瑞泉寺の境内にも松が数多く見られるのは、このような理由からだと思っている。

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