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井波の紹介

野原博史さんの井波物語

井波物語井波でお寿司屋さんを営まれる野原博史さんが、
井波の歴史を紹介する「井波物語」です。

文:野原博史さん(美好寿司
挿絵・イラスト:藤井治紀さん(砺波市)
デザイン・編集:薮道子さん(砺波市)

【その四】一向とは・山門の龍の不思議

一向とは山門の龍の不思議
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一向とは

平成二十三年は、鎌倉仏教の二大宗祖、法然と親鸞がそれぞれ没後八百回忌と七五〇回忌を迎える節目の年です。親鸞は、浄土宗の宗祖・法然の教えを受け、浄土真宗を聞きました。瑞泉寺は真宗大谷派の寺社ですが、一向宗と誤解されることもあります。「一向一揆」という言葉もあるように「一向」という語はよく耳にします。そもそも「一向」とは何なのでしょうか。

一向という言葉は法然上人の遺言とも言われる「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」の一節「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし」に由来し、「ひたすら、いちずに」すなわち「一つに専念すること」を意味しています。「頭であれこれ考えるのではなくただ真白な心でお念仏に専念すべきだ」という教えです。また「一向宗」とは、もともとは鎌倉時代の浄土宗の僧・一向俊聖がはじめた仏教宗派であり(※1)、親鸞の教えではありませんでした。

親鸞の弟子達は宗旨名として「浄土真宗」(「浄土を顕(あらわ)にする真実の教え」)と名乗りましたが、「浄土宗」側は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌って自ら「一向宗」の称を用いるようになりました。

ところが江戸時代、法然上人の直系・増上寺が「浄土宗だけが真の浄土宗であり、異端である一向宗が『真』の字を用いる事を禁じるべき」と主張し、「浄土真宗」の額を増上寺に掲げるなどして真宗側を圧迫しました(※2)。当時の老中・田沼意次らは浄土宗の主張を受け入れ真宗教団の宗派名を「一向宗」と呼ぶと決定したため、他者もそれに倣い浄土真宗、ことに本願寺教団を指して「一向宗」と呼ぶようになりました。真宗側はこれに納得せず、その後一〇〇年以上に渡って宗名論争が続くことになったのです。

戦後宗教統制が解かれ、西本願寺が「浄土真宗」と、他の九派は「真宗」を公式名称とし「真宗○○派」と名乗るようになりました。歴史の名残により真宗派と一向宗は混同されていましたが、現在では誤った呼称ということになります。

  • ※1:同じ踊り念仏の時宗(宗祖・一遍)と混同されたため、江戸幕府により「時宗一向派」と改称させられました。
  • ※2:京都黒谷にある法然上人開基の浄土宗、金戒光明寺山門(国宝)には、「浄土真宗最初門」とある額が掛けられています。この書は、瑞泉寺・縛如(しゃくにょ)上人ゆかりの後小松天皇の親筆といわれています。

山門の龍の不思議

瑞泉寺山門の唐狭間に彫られている龍は、京都本願寺の御用彫刻師・前川三四郎が彫ったものです。京都で彫られて大阪・堺港まで運んで鋳造所で銅製の龍のひげと目を鍛金して作り、瀬戸内海を通り、下関より日本海に出て、福井の三国港より北陸路を通ってようやく瑞泉寺へ納められたものです。

私は、以前から不思議に思うことがありました。この山門には鳩など鳥類が寄り付かないのです。余分な話ですが東大寺の大仏殿にも鳥類が寄り付いていません。ところがそこから南二百メートルにある南大門には鳩の糞害があります。また浅草の雷門、京都の東本願寺にも多数の鳩がいます。瑞泉寺では、同じ境内にある太子堂には鳥が害するため網が張られています。これは一体何故なのでしょうか。

金沢大学工学部のある教授のお話によると、兼六園にある日本武尊の銅像にも烏が寄り付かないのを不思議に思い、その銅像の成分を調べられたそうです。それと同じ成分の鋼片を鳩の集まる所へ置くと、それまでいた鳩が寄り付かなくなるということがわかりました。実はその成分には、生物には毒薬である砒素が含まれていたのです。

銅を鋳型に流し込むときには流れやすくするため鉛を加え、またそれを固めるために砒素などを加えて凝固させるそうです。鳥類は、人間の数万倍から一億倍の嘆覚がある犬や猫ほどではないとしても、毒素を感じ取る嗅覚を備えているのでしょう。

瑞泉時の山門に烏がいないのは、龍につけられた銅製のひげに砒素が混ざっているのではないかと私は考察しています。

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